生の受動性Ⅱ

一本の電話を待っている。
もう、私はそこに関与することはできない、待つ事しかできない。

こうなると、
「人間、どんなに頑張ろうと受動的なことばかりだ。」
と考えてしまう、気分が滅入る、精神が安定しない。
何とかしたいが、それは自分の力の及ぶ範囲を離れてしまっている。
そう、無力なのだ、待つしかないのだ。

以前書いたが、そもそも『生』そのものから受動的だ。-生の受動性-
誰もこの世に生まれたいと思って生まれてはきていない。
物心が付いた時には、存在している。
生まれてくる国も地域も、家族も、容姿も選ぶことはできない。
いくら能動的に、主体的に生きようとしても、周囲をコントロールはできない。
世の中、『運』としか言い様がことばかりだ。

また、『死』も受動的だ。(自殺という手段があるが
自分の生命をコントロールすることはできない。
より良く保つことはできるが、老いていく、死に向かっていく。

『生』も『死』も受動的だ。

そして、その受動性に恵まれた者と恵まれなかった者がいる。
なかには、カースト制のような理不尽極まりない究極の受動制度もある。
こうなうると、現世に救いは一切無いと言っても過言でもないのかもしれない。

だから、やはり『恵まれた者』は『恵まれなかった者』を助けるべきだと思う。
私は無宗教だが、Nobless Obligeの精神が好きだ。
多くを持つ者は、持たない者に分け与えるべきだ。

いくら自分が『運がいい』と思っていてもやり過ごせない事は沢山ある。-運の話
世の中は不条理だ、理不尽だ、そして人間は強くない。

だから私は祈る、
あなたが手を差し伸べれる人物たらんことを。

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