生の受動性

昔から「なんで生きてるのだろうか?」と考える子供だった。
「生きるのしんどいよなー。」と思っていた。

実際、『生』そのものが受動的だ。
誰もこの世に生まれたいと思って生まれてはきていない。
物心が付いた時には、存在しているのだ。
それを喜ぶ人もいれば嘆く人もいる、はたまた考えない人もいる。

本当に受動的だ。
生まれてくる場所さえ選ぶこともできない。
運としか言い用が無い、なんて残酷なのだろうか。

また、『死』も受動的だ。(自殺という手段があるが
自分の生命をコントロールすることはできない。
より良く保つことはできるが、老いていく、死に向かっていく。

『人間、どんなに頑張ろうと受動的なことばかりだ。』
まして、能動的に何かをしなくても、生きていくことができる。
日本にはそのシステムがある。

でも、これって生きていると言えるのだろうか?
生かされているのではないだろうか?
私はそう思う、そして生きたいと思う。

あなたは生きてますか?
それとも生かされてますか?

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