殺意衝動とエネルギー

「どうしようもなく疲れきり指の一本をも動かすのが困難な状況で、あなたは何をエネルギーとして動こうとするだろうか?」

まあ、現代社会ではそういう状況に陥ることは殆んどないのですが…

まして大人になると、『ここまですれば疲れる』というのが否応なく分かってしまうので、無理をしないようになる。
だから、若者が中年に比べて元気ということはない、肉体の限界が分からないから調整することを知らないだけだ。

話が逸れたが…
こういう社会だからこそ、『たまには肉体的にも精神的にも自分を追い込むことに意味があるのではないか?』と私は思う。
山登りなんかは、その環境を簡単につくってくれる。

それで、最初の問いに戻るが…
「どうしようもなく疲れきって指の一本をも動かすのが困難な状況で、あなたは何をエネルギーとして動こうとするだろうか?」
これは何処ぞの軍隊のテクニックだが、
誰かをボコボコに、ズタズタにすることをイメージする。』といい。
その殺意衝動とも取れる怒りのエネルギーは、動かない身体に力を与えてくれる。
こういったイメージをすると、不思議なことにもう動かないと思っていた身体が動くのだ。

誰か”は誰でも良い、大抵は目上の人間になるのではないだろうか?
イメージは具体的であればある程、身体にエネルギーが湧いてくる。

得てして、壊す側に立場を置き換えると人は強くなるものだ。
その一方で、壊される側の立場に自分を置いて考えていると人は弱くなる。
攻める者が強いのは世の性だ。

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殺意衝動とエネルギー」への1件のフィードバック

  1. 自分の考え方もまさにそれなんだろうと思う
    最高のパフォーマンスを出そうとした時には、マイナスの感情が何より
    自分を突き動かしてくれてた。
    自分の話になって悪いんだけど

    無理に日々を楽しくって考えようとするから楽しくなんてなくて。
    恨み殺意怨念ついでに恐怖で動いて上に立ったら
    こいつらを引きずり下ろして全員惨殺するって考えで動いていた
    そんな時が一番力が出たし最後の踏ん張りも効いた
    あとは性欲を満たすことを目標に動く時くらいなのかな。

    結局あとで後悔しないマインドで動けていた時って常日頃殺してやるって復唱しながら
    劣等感でグチャグチャになって動いている時で、後で振り返ってみた時に
    充実してたな、って思える気がした。楽しかった、じゃなくて充実していた、ってのが
    大事かな。楽しい、面白い、を無理に目標にしようとすると多分うまくいかない人もいるんだと思う。そういう人はどっちかっていうと時間を無駄にしてしまう。だったら自分は
    楽しさなんていらないから人を見下せる愉悦が欲しいと切に思える

    でも悔しさをバネにって言葉は違うと思うし1,2を争うくらい嫌いな言葉。
    悔しければ殺意しか湧いてこないし、それが直接変換されることなんてない。
    時間が経ってからその他いろんなことと合わせてそこで培った負の感情が相手を下すための行動を助長することはあるかもしれない。でも負けて劣等感に苛まれて
    その状況に追い込んだ相手を同じ苦しみに叩き落としてやりたいと思うことが
    衝動を生んでるんであって、一番苦しくて本質的な段階をすっとばして
    キレイな言葉でまとめようとしてるから初めて言った奴も殺したくなる
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    非常にまとまりのない長文で済みません
    自分のリテラシーであなたの意図を理解出来ているかはわかりませんし、
    あなたの欲しいコメントではない気もします。しかし手が動いてしまったのとあなたの記事のおかげで吹っ切れて数年間失っていた自分をようやく取り戻せそうなのでコメントさせていただきました。

    気に入らなければ削除の方をお願いします。こちらの記事を読めたことは今日1番の収穫です。

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