殺意衝動とエネルギー

「どうしようもなく疲れきり指の一本をも動かすのが困難な状況で、あなたは何をエネルギーとして動こうとするだろうか?」

まあ、現代社会ではそういう状況に陥ることは殆んどないのですが…

まして大人になると、『ここまですれば疲れる』というのが否応なく分かってしまうので、無理をしないようになる。
だから、若者が中年に比べて元気ということはない、肉体の限界が分からないから調整することを知らないだけだ。

話が逸れたが…
こういう社会だからこそ、『たまには肉体的にも精神的にも自分を追い込むことに意味があるのではないか?』と私は思う。
山登りなんかは、その環境を簡単につくってくれる。

それで、最初の問いに戻るが…
「どうしようもなく疲れきって指の一本をも動かすのが困難な状況で、あなたは何をエネルギーとして動こうとするだろうか?」
これは何処ぞの軍隊のテクニックだが、
誰かをボコボコに、ズタズタにすることをイメージする。』といい。
その殺意衝動とも取れる怒りのエネルギーは、動かない身体に力を与えてくれる。
こういったイメージをすると、不思議なことにもう動かないと思っていた身体が動くのだ。

誰か”は誰でも良い、大抵は目上の人間になるのではないだろうか?
イメージは具体的であればある程、身体にエネルギーが湧いてくる。

得てして、壊す側に立場を置き換えると人は強くなるものだ。
その一方で、壊される側の立場に自分を置いて考えていると人は弱くなる。
攻める者が強いのは世の性だ。

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