『小説』が好きでして

高校生になってから読書が趣味なった。
特に純文学が好きで、村上龍の本が大好きだ。(私と村上龍 -私による彼の本のレビュー-)
当時、私は卓球をする自分に限界を感じ、情熱と時間を持て余していた。
だから、とりあえず本を読んだ、様々なジャンルの様々な本を読んだ。
周囲には私が小説家を目指していると思っている人もいた。
当の本人は毛頭もそんなことは考えていなかったわけだが

それにしても、読書が趣味ではあるが、自分が好きな本の領域を説明することは難しい。
簡単に説明するなら、”メッセージ性の強い小説”ということになるが、いやはや分かりづらい。
私にとって村上龍の著書がドンピシャなのだ、それに彼の作品の暗喩は美しい。

一般的に、文学と呼ばれる作品には、読者の関わりにおいて2種類ある。
文芸評論家の渡部直己さんの言葉を拝借するなら、『読み物』『小説』である。

さて前者、これは読者の主体を侵さない作品である。

読者は『読み物』を読んだ後、自ら変わろうとはせず、むしろ変わることのない自己の輪郭を心地よく確かめるかのように、また似た様な本を手に取る。
たとえ悲惨なことが書かれていようと、それは読者に対して許容でき得るように調整されている。
そういった調整ぶりでは、村上春樹は現代最高の『読み物』作家ということになるのだろうか。
私は嫌いなのだが

そして後者、これは読者の主体を侵してくる作品だ。
読者は『小説』から、自らの生の在り方を変えずには到底受け止めることのできない力を感じる。
作品の言葉がダイレクトに肉体と精神に影響を与える。
読後には、焦燥感にも似た危機感を覚え、何かを初めからやり直したくなったりする。
だからこそ『小説』は好き嫌いが別れる。
また、こういった作品は現代では非常に希少なものとなってきている。
その希少な『小説』家のひとりに村上龍は確実に分類される。

私は『小説』が好きだ。

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