階層社会

 私は宮崎県の山間部、つまりは地方の田舎に生まれ、そして育った。
そんな私はテレビというものが嫌いだった。
テレビは幼い私の欲を大変駆り立ててくれ、心を不安定にした。
箱の中の人たちは、私の目にはとても楽しそうに、キラキラとして映った。
叶わない物欲や都会人の楽しむ様は、私に劣等感と虚無感を与えてくれた。

 だからこそ私は、世の中には知らないでいいことが多い、地方に住む者にとって都会の情報を一方的に与えてくるテレビは害悪だと考えている。
その放送は、都会の生活があたかも正義であるように我々に刷り込んでくる。

 例えば、アラスカ州はアメリカ合衆国の他の州に比べて、自殺率が10倍以上という統計がある。
ある日、先住民の生活をしていた彼らの土地にテレビの文明がやってきた。
それに伴い、その他のシャワーや食べ物の文明がやってきた。
若者たちは毎日、アメリカ文化の象徴であるジャンクフードに手を伸ばし、コーラを飲むようになった。日々、メディアから溢れるアメリカ社会に憧れながらも、耳が痛くなるような静寂の中の村で、一日中何もすることがなく自分を見つめる時、若者たちは将来への絶望を抱き、自分の存在を見失ってしまう。その結果、若者たちの自殺が急増したのだ。

 テレビで都会は正義と思い込む者たちは、とにかく田舎をバカにする傾向がある。
まあ、田舎をバカにする放送を見て喜んでいるのだから仕方がないのだが
宮崎なんてまずバカにされるが、個人的には大阪人が大阪と東京は同等だと語る様が滑稽だと思う。
GDPも人口も半分以下だと言うのに。
まあ、こんなこと言う私も、資本主義やメディアに毒されている。

 そもそも日本の戦後の開発論は、首都を中心に拠点とする主要都市、地方都市という階層的な地域構造の下で展開されたものだ。
つまり、あらゆる田舎は都会の為に存在していることになる。
元々ヒエラルキーがあるのだ、下をバカにするの仕方がないことかもしれない。

 しかしながら、最近はその形態に疑問を持った人も増え、転換期にある。
ICT
の飛躍的な発展によって人々は瞬時に情報を入手、発信することができ、ビジネスや経済活動はその拠点を都市に求める必要性がなくなったと考える人が増えたのだ。
勿論、ビジネスの相手は殆んど東京にいるという現実もある。

 それでも、田舎の人が都会のものを手に入れられるが、都会の人が田舎のものを手に入れられない、という世の中は、確実に近づいてきている。
ネットショッピングとか画期的ですよね、ほんと。
都会は正義ではない、正義は自分が決める時代、自分の思想、考えに合ったライフスタイルを作って生きていきたい。

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