競争=Competition

私は本が好きだ、そして尊敬する著者の一人に”会田雄次”さんがいる。
アーロン収容所で英軍の捕虜として強制労働を強いられた経験のある、西洋史家だ。
著書のひとつである『アーロン収容所』は、高校の時に父から貰った。
父は私に前者と『老人と海』をくれた、なかなか良い趣味をしている。

『アーロン収容所』は歴史も碌に知らず、欧米文化かっけーと思っていた私にとって、日本人が英軍に家畜のように扱われていた事実は衝撃だった。
しかしながら私は、袴や甚平を着るでもなく、英字のプリントされた洋服を着て、毎朝パンを頬張り、英語の歌を聴いていた。
戦争に敗れるとはこういう事なのだ、私はそう思った。
この事については、またいつか書こう。

本日は、その著書のひとつである『敗者の条件』、その内容である
競争=Competition”
について書こうかと思う。

福沢諭吉は若かりし頃、チェンバーの『経済論』を手に入れた。
そして翻訳の際、”Competition”を”競争”と訳した。
現在では誰しもが知っている、経済上の自由競争のことである。
江戸時代、その思想は日本にはなかった。
これを知った役人は「へー、西洋のお流儀は厳しいものだね。」と口にしたという。
そして、その自由主義や自由思想の概念は成立することもなく、第二次世界大戦で我が国は敗れた。

日本は社会主義的なものがある、とはよく耳にするし、一見するとそう感じる部分はあるが、それは違う。
明治時代、西洋の文化や思想は日本に流れてきて富国強兵の道を進んだが、その様は国家契約説を結んだ近代国家でも、絶対主義国家でもなかった。
その様は、実に日本的としか言いようがない擬制家族団体である。
ここでは一切の秩序は、親分子分という保護と奉仕の理念で貫かれている。
現在も尚、非常に少なくなってきたが、その精神は日本に残っている。

個人的には、私は擬制家族団体が好きである。
百田尚樹『海賊と呼ばれた男』のような会社が日本的な会社だと考えるし、私個人としては好感が持てるのである。
この合理的に説明できない、人間の性格を前提として形成しているシステムが好きなのだ。
ぬるい考えかもしれない、しかし私はこの愛あるシステムに誇りさえ感じている。

しかしながら『敗者の条件』では、江戸時代以前、つまり戦国時代には競争の概念があった、と述べている。
そして、その戦国武将たちの闘争世界について記載してある。
どうだろうか、競争社会の末が、擬制家族団体の世界ではないのだろうか?
私にはそんな気がしてならない。

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